系统之家提供 Windows 系统、Ghost 系统、驱动与常用软件的安全下载及安装教程。 后台管理
📢 欢迎访问系统之家!所有资源均经过安全检测。

認知症の祖父に久々会いに行ったら、晩年専業主婦の母が祖父の中ではスーパーキャリアウーマンになっていた話|もしもし五島列島/中村千結

发布时间:2026-09-27 | 浏览:1
📥 下载地址(文章开头)
装机神器,可安装一切系统,纯净版,英文版,繁体版 ,精简版,原版等等等
📥 下载地址(文章中间)
装机神器,可安装一切系统,纯净版,英文版,繁体版 ,精简版,原版等等等
私の祖父は認知症になってもう五年ほど経つ。 ずっと自宅で祖母が介護していたが、今年の冬、祖母が足の手術で入院をすることになって祖父は施設に入ることになった。 最初の方は施設から逃げ出そうとしたり、会うたびに「帰りたい」と何度も言ったり、いろいろ大変だったが、半年たった今は、認知症が進行しているのもあり、施設でもだいぶ落ち着いている。 祖父は本当に穏やかな人で、噂話が絶えない小さな島でずっと過ごしているのに、祖父のことを悪く言う人は本当に1人もおらず、相手がどんな人だろうと、年上でも下でも、人でも動物でも、とにかく笑顔で暖かく接する人だ。 祖父が認知症になったとわかったとき、私は、「いずれこんな優しい祖父も凶暴になったり、乱暴になってしまうのかな」とこれらの不安がかなり大きかったのだが、結局、祖父はずっと祖父のままだった。 いくらいろんなことを忘れて、人のことも、思い出も私のことも、全部、忘れても、穏やかで優しい祖父は一切変わらなかった。 4月に弟と2人で会いに行った時は、ギリギリ私たちのことも覚えていたが、今日行った時は完全に忘れられていた。 顔を見せて、「孫の千結」ですと言っても、何度詳しく説明しようともうわからなさそうな状態だったので、とりあえず、自己紹介は諦めて、この場のノリで祖父と話をしてみようと思った。 私の横には、私の母がいたのだが、母を見るなり、「おお〜大変世話になって!」となぜか、母に猛烈感謝をし始めた。 どうやら、母のことを祖父が市役所で働いていた時代にお世話になった女性と勘違いしているみたいだ。 その後も、母に対して圧倒的感謝の気持ちをスラスラと述べていく祖父。こんなにおしゃべりだったけ?と思うくらい、息継ぎせず、ずっと感謝の気持ちを述べていた。 隣にいる私が、娘ということはなぜかわかったみたいで、私に対しては「お母さんは本当に素晴らしい人だから、お母さんのことを大切にしてあげて」と何度も言っていた。 とにかく母のしごでき(=仕事ができる略。はやってるから使いたかった言葉)っぷりを褒めちぎるもんだから、専業主婦の母は自分の存在がバレないように、ただ姿勢を良くして座っていることしかできなかった。 (専業主婦なのでしごできのイメージが姿勢いいなのかなと勝手に思ってた(お母さんを大切にしろと言われたばかりなのに早速母のことをバカにしてしまっていた)) しごできを演じないといけない母は無言になるしかなかったので、祖父は私に向けていかに母がすごいかをひたすら熱弁していた。 「自分はすごくバカだったから、ざまにバカと思われていたと思う。」と言う話もしていたし、「あなたのお母さんが全ての仕事を振り分け、上手くこなしていたし、自分が市役所を退職した後も仕事を割り振ってくれたし支えてくれた」と話をしていた。 一応祖父も市役所に長く勤務して、たくさんの人に慕われていたのを私は知っているから、「あなたが周りにたくさん感謝したり、言葉にして伝えてあげる人だったからこそ周りも動いてくれたんじゃないですか?」と言ったら、そうではなく、とにかく母(=市役所のしごでき女性)の能力の一騎打ちだったと話していた。 私としては正直もう少し祖父自身の話を聞きたかったところだが、 確かに、認知症ということもあるかもしれないがそれにしても、 祖父は自分の自慢話を一切しないし、見栄も一切張らない人だったのを思い出した。 私はこのときの状況をここまで褒めると誰しもが、「自分はここまで褒めたんだから、褒め返しが欲しい」と思ってしまいそうな展開だと思い、私は都度都度、祖父のことを褒めるようにしていたが、私の褒め言葉は毎回スルーだったので、祖父はこう言うことは一切望んでおらず、とにかく自分が世話になった人に対して圧倒的感謝を伝えたいのだなと改めて再認識できた。 認知症の祖父の記憶はいろんなことがごちゃ混ぜになっていた。 自分の息子たち2人も、自分の親も兄弟もみな市役所で働いていたということになっていた(実際はみんな違う) そしてとにかくみんなが自分を助けてくれたと。特に息子たちには助けられて、仕事のサポートをしてもらったと言っていた。特に次男には、退職後も仕事を探してくれたり、いろいろ動いてくれて、自分のために注力してくれて、世話してくれたから、もうこれ以上自分のことに構わせたくないという気持ちはあったと言っていた。 確かに、私の父(=祖父が言っている次男)は近くに住んでいたこともあり、しょっちゅう祖父の介護をしていた。このことが、記憶には残っていないかもだけど、体が体験として覚えていて、だからこうやって感謝をしているんだろうなあ。と感じた。この話をするときの祖父の顔が今回の話で唯一、かなり辛そうな顔をしていて、だけど世話になったんだ。と話していたから、あのとき、介護をされて「申し訳ないな」という気持ちが大きくあって、それと同時に感謝も大きく抱いていたのだろうなあと感じた。 何かをするたびに手を合わせて「迷惑かけてごめんねー」「これからも迷惑かくっばってんよろしくね(これからも迷惑かけるけどよろしくね)」という祖父でもあった。こっちとしては、大したことないこと、当たり前のことをやっていても、毎回そう言ってくれた。 今回のことだって、子供が親のことをサポートするのは当たり前と誰しも思ってしまうかもだが、祖父は絶対に違かった。 全ての物事の事象を「当たり前」と思わない祖父だからこそ、人に深く感謝できる人になったんだろうなあと強く感じた。 今日、祖父に会う前、どんな話をしようとずっと悩んでいた。 認知症の祖父とは思い出話はもちろんできないし、誰が今どうしてるっていう近況報告もできないから、「今日は暑いね」とかいう一言を超絶ゆっくり行ったり、何度も言うしか話す術がなかった。 毎回毎回、同じ話の展開しかできず、沈黙になってしまうことも多いので、これは事前に準備しておく必要があると思ったのだが、それにしてもどうしよう。とずっと悩んでいた 私は今就活中ということもあり、祖父も昔のことなら話せるかな。と考えて、「仕事の話」をきこうと決めていた。その想いが通じたのか、開口一番に、仕事の話を祖父からし始め、結局、私は「仕事は楽しかった?」の質問一つしかできずに祖父の母(=市役所のしごできウーマン)に対する感謝を述べる時間で9割過ぎていった。 ちなみに「仕事は楽しかった?」の質問に対しては「楽しかった」と即答していた。いろんなプロジェクト(祖父はプロジェクトとは言ってないけどそんな感じのこと)を自らの手で解決していったのが楽しかったんだと。けどこの話も結局、自分が仕事を楽しくできたのも、母(=市役所のしごできウーマン)のおかげなんだ。という話の終着点に行きついた。何を語っても結論、感謝にたどり着いていた。 話は終始、ごっちゃごちゃで、登場人物も色々だったけど、今回祖父の話を聞けて、祖父のような人になりたいなと強く思えた。 どんな些細なことも当たり前と思わず、心から感謝して、一度受けた感謝を一回の感謝で終わらせず、ずっとずっと感謝し続ける姿勢。 自分がどうみられたいとか、思われたいも一切ないのも本当に素晴らしい。 私なんて、人に感謝を伝える時は上部の感謝を伝えつつ、「こんなことが言えたり、現代において手紙を渡せたりするのを褒めて!」とか「この手土産のチョイスいいでしょ?」とか卑しさが前面に出過ぎてしまう。 今回、祖父の純粋な感謝の姿勢を見て、実際に体感して、受けての気持ちになったからこそ、私の黒くて濁っている感謝の姿勢を猛反省できた。 祖父の孫であるから、私はこの姿勢を真似していこうと思う。最初は真似でも徐々に体に染み付いていくと信じている。 祖父が私のことをもう、すっかり忘れていたけど、本当にそんなことはどうでもよかった。 認知症になった親族を持つ人たちの一番辛い瞬間は「自分のことを忘れられること」だと思っていた。だから、「母が認知症で、、、もう自分のことも分からなくなっていて、、、」など聞くたびに「お辛いですね、、、私の祖父はまだ家族のことはギリギリ覚えていて、、、」みたいな「どれだけ覚えているか」を辛さの判断基準にしていたけどそうじゃなかった。 認知症で一番辛いのはおそらく、その人がその人でなくなってしまうことだろう。 しかし、幸いにも祖父はずっと祖父のままだった。 これだけで十分嬉しかったし、改めて私は祖父がじいじでよかったなと思えたし、訳わかんない話だったけど話せて最高に楽しかった。私の存在が忘れられるとか本当に本当にどうでもよかった。 けど、もし祖父が祖父じゃなくなっても、私が祖父のことをずっと覚えておけばいいのだ。だから、今日のことを絶対忘れず、祖父のように暖かく穏やかな人になりたいと思った。
📥 下载地址(文章结尾)
装机神器,可安装一切系统,纯净版,英文版,繁体版 ,精简版,原版等等等