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蒼龍 (空母)

发布时间:2026-10-04 | 浏览:1
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蒼龍 (そうりゅう / さうりう)は、 大日本帝国海軍 の 航空母艦 [ 注釈 1 ] 。 大日本帝国 が 海軍休日 時代末期に建造した 正規空母 である。 蒼龍は建造に至るまで、 航空巡洋艦 も検討されるなどの紆余曲折を経て、最終的には先行艦 の運用経験に基づいて設計、日本初の本格的空母として誕生した [ 22 ] 。また、台風で艦艇に被害が出た 第四艦隊事件 の影響で、船体を輪切りにしたり、また工事中に搭載予定航空機の機種や機数も幾度か変更されたため、艤装には困難が伴った [ 23 ] 。 蒼龍の名前は、帝国海軍の艦船としては御召艦 蒼龍 に続いて2隻目 [ 24 ] 。 戦闘詳報 には、「蒼竜」の漢字表記も使用されている。なお戦後、この名称は 海上自衛隊 の そうりゅう型潜水艦 の1番艦「 そうりゅう 」にも使用されている。 艦橋は右舷前部にあり、右舷中部に下方排出式の煙突を2つ持つ。格納庫は2層式で、エレベーターは3基。後部エレベーター脇には揚収用クレーンを備え、 加賀 や 龍驤 に見られた格納庫後端の扉は廃止されている。15万馬力の機関を搭載した蒼龍の最大速力は34.9ktを記録し、日本海軍では最速の航空母艦であった。また、排水量制限のために搭載機数は大型空母( 赤城 、加賀)より少ない。少しでも格納庫スペースを確保するために、ボイラーへの給気や機関室の排気などは船体中央付近の舷側に外付けされた箱型の通風筒で行われており、蒼龍と 飛龍 の外見上の特徴となっていた。 従来艦上機からの個艦識別用として 飛行甲板 後端に「サ」の文字が書かれていたという説がある。一方で無記入だったとする説もある。ミッドウェー作戦時の空撮写真にそれらしいものがまったく写っておらず、ほぼ同条件で撮影された飛龍はかろうじて「ヒ」の文字が判読できる。 竣工から喪失までの間に大きな改装はなかったが幾度か小改装を施されている。右舷に設置されたマストは、竣工時には艦橋直後の信号マスト1本と、無線マスト25mm機銃の間に無線マスト1本の計2本であったが、1939年の時点では5番高角砲の後部に無線マスト1本が増設されている [ 25 ] 。他に竣工時にあった2本の滑走静止索のうち、後方のものは撤去され、残った1本の前後に新たに装備され、計3本になった [ 26 ] 。右舷に設置された艦橋は 駆逐艦 の艦橋とほぼ同規模の大きさである。1941年に防空指揮所を拡大したという資料が残るというが、確認できる写真が残されていない [ 27 ] 。1942年には羅針艦橋前面に水面見張所を増設、防空指揮所を更に拡大した改正図が残されているが、こちらも実際に工事を行ったかを確認する写真は残されていない [ 27 ] 。 蒼龍には25ミリ機銃は14基あったが、うち3基は艦首に搭載。艦首に兵器搭載は本艦が初である。後に日本空母の標準装備となる艦尾の着艦標識、滑走静止装置が建造当初から設置されたのは蒼龍が初めてであった。 中型空母としての性能は申し分ないものだったが、他の日本空母と同様に ダメージコントロール の面では米英空母と比べ劣り、3箇所のエレベーターの前後に防火鎧扉が設けられ、炭酸ガスで火災消火する方式である [ 28 ] 。さらに航空機格納庫は密閉式で爆風を逃せず、 ミッドウェー海戦 における喪失の原因となった [ 29 ] 。こうした欠点は、可能な限り多くの航空機を搭載し、搭載戦闘機によって敵機を排除しようという発想からきているものであった [ 30 ] 。 1921年の ワシントン海軍軍縮条約 、1930年の ロンドン海軍軍縮条約 によって、日本海軍の航空母艦保有トン数は81,000トンに制限されるようになり、既存空母4隻( 鳳翔 、 赤城 、 加賀 、 龍驤 )の排水量を差し引きした残枠は12,630トンであった。このうち、 1922年 (大正11年)竣工の鳳翔は条約で定められた廃艦に出来る艦齢16年に間もなく達する予定であったため、日本海軍は鳳翔の代艦分8,370トンも加えた残枠21,000トンを用いた航空母艦2隻の建造を計画した [ 32 ] 。昭和7年度(1932年度)に設計された基本計画番号 G6案 では、基準排水量12,000トン、20.3cm連装砲3基6門、12.7cm連装高角砲6基12門、艦上機70機を搭載する 航空巡洋艦 として計画されていた。このG6案が発展した昭和9年度(1934年度)のG8案では、基準排水量10050トン、20.3cm連装砲1基、三連装砲1基5門、12.7cm連装高角砲10基20門、艦上機100機が要求されたが、10,050トンの艦体に収めるのは不可能であり、最終的には15.5cm連装砲1基、三連装砲1基5門、12.7cm連装高角砲8基16門、艦上機70機の計画となった [ 32 ] [ 33 ] 。昭和9年度海軍軍備補充計画(通称・ ②計画 )によってこのG8案を具体化する形で建造開始される予定であったが、建造開始直前の 1934年 に 千鳥型水雷艇 が転覆する 友鶴事件 が発生した影響で、この設計では艦体に比して過大な装備となることが懸念され、最終的には15.5cm砲を搭載しない形に改設計されて建造開始された。これが後の蒼龍である。基本計画番号はG9となった [ 34 ] 。また、蒼龍建造開始後の1935年に 第四艦隊事件 が発生したため、更に改設計されている。この時、本艦の溶接構造に異常がないかを確認するため、進水後の船体を二箇所で輪切りにして調査を行った [ 35 ] 。 当初、蒼龍型航空母艦は軍縮条約の枠内で2隻を建造する予定であったが、蒼龍の建造開始直後の 1934年 (昭和9年)12月に日本は ワシントン軍縮条約 からの脱退を通告しており、 1936年 (昭和11年)12月に条約の効力が切れることが確定した。このため、排水量を抑える必要がなくなり、2番艦は蒼龍から更に拡大設計されて建造されることになっている。これが後の 飛龍 である。なお、蒼龍は軍縮条約を批准する関係各国に対して、排水量10,000トン、水線長209.84m、最大幅20.84mと通知された [ 36 ] 。戦前に公表されていた排水量1万トンという数値から、アメリカ海軍内部では、蒼龍型航空母艦について10,000トン級小型空母という認識をもっていた [ 37 ] [ 38 ] 。 ミッドウェー海戦 で蒼龍を攻撃した SBDドーントレス急降下爆撃機 の乗員は上空から見た艦の大きさから爆撃したのは大型空母加賀だと思い込んでおり、戦後になり取材者から蒼龍だったと指摘されると気色ばんで「そんな小さな空母を爆撃したと言うのか」と詰め寄ったという [ 39 ] [ 38 ] 。エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウン攻撃隊は戦闘詳報でいずれも「赤城または加賀を攻撃した」と記録しており、「蒼龍を攻撃した」と報告した飛行隊はなかった [ 38 ] 。 1934年 (昭和9年)11月20日、軍艦「蒼龍」は 呉海軍工廠 で起工された [ 40 ] 。書類上では 1935年 (昭和10年)1月23日に進水したことになっているが [ 40 ] 、実際には12月23日に進水した [ 7 ] [ 41 ] 。12月23日、大野一郎大佐は蒼龍艤装員長に補職される [ 42 ] 。 1936年 (昭和13年)4月1日、蒼龍艤装員長は奥本武夫大佐に補職される [ 43 ] 。12月1日、蒼龍艤装員長に 別府明朋 大佐が補職される [ 44 ] 。 1937年 (昭和12年)8月16日、別府明朋大佐は蒼龍初代艦長に補職される [ 45 ] 。 11月11日の公試では排水量18871トン、機関出力15万2483馬力で34.898ノットを発揮した [ 46 ] 。 12月1日、蒼龍艦長に 寺岡謹平 大佐が補職された [ 47 ] 。12月29日、引渡し [ 48 ] [ 40 ] 。 1938年 (昭和13年)11月15日、蒼龍艦長に 上野敬三 大佐が補職された [ 49 ] 。 1938年12月15日、蒼龍は 第二航空戦隊 (司令官 鮫島具重 少将)に編入される [ 50 ] 。 1939年 (昭和14年)10月20日、第二航空戦隊司令官は 戸塚道太郎 少将に交代 [ 51 ] 。同年11月15日、準同型艦飛龍の編入にともない、二航戦は空母2隻(蒼龍、飛龍)および第11駆逐隊( 初雪 、 白雪 、 吹雪 )という戦力になる [ 52 ] 。 1940年 (昭和15年)10月11日、 横浜港 沖で行われた 紀元二千六百年特別観艦式 に、二航戦の僚艦とともに参加 [ 53 ] 。11月1日、 山口多聞 少将が第二航空戦隊司令官となる [ 54 ] [ 55 ] 。 1941年 (昭和16年)3月、仏印とタイとの国境紛争を調停すべく南方へ進出中、第二十三駆逐隊(菊月、夕月)の駆逐艦 夕月 と衝突事故を起こした [ 56 ] 。蒼龍艦首が夕月左舷中央部に乗り上げ、破口が生じた [ 56 ] 。両艦とも沈没の危険はなかったが、蒼龍は搭載機をうつしたのち 佐世保 に戻ってドックに入った [ 57 ] 。4月、修理を終えた蒼龍は横須賀に回航された [ 57 ] 。 1941年4月10日、第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)は、新設された 第一航空艦隊 に編入される [ 58 ] 。 太平洋戦争開戦前の7月には南部仏印進駐作戦の支援を行った。 9月12日、赤城艦長 長谷川喜一 大佐が、赤城と蒼龍の艦長を兼務することになった [ 59 ] 。9月12日付で内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、第12駆逐隊( 叢雲 、 東雲 )は空母蒼龍、 飛龍 と 第二航空戦隊 を編制予定であった [ 60 ] [ 注釈 2 ] 。 しかし、第12駆逐隊の空母機動部隊への配属は実行されなかった。 10月6日、長谷川大佐は赤城・蒼龍艦長の兼務を解かれ、 柳本柳作 大佐が蒼龍の艦長に補職された [ 61 ] 。 1941年12月、蒼龍を擁する第一航空艦隊(長官は 南雲忠一 中将、参謀長は 草鹿龍之介 少将)は、太平洋戦争劈頭の 真珠湾攻撃 に参加。 作戦前、軍令部からの要請に応じて、蒼龍・飛龍・赤城を外し、航続力の優れた空母三隻(加賀、翔鶴、瑞鶴)に最も優秀な第一航空戦隊、第二航空戦隊を乗せて作戦を行う案が作られたが、この案を知った 第二航空戦隊 司令官 山口多聞 少将は、今まで訓練してきた人と飛行機を取られ、母艦だけ残されては部下に会わす顔がない、攻撃の後は置き去りにしてくれて構わないと反対した。第一航空艦隊は最終的に空母6隻案でまとまり解決している [ 62 ] 。真珠湾までの道のりは燃料について問題があったが、それを解決するため軍務局の暗黙の了解を得て、南雲長官は自身の責任において軍紀違反である過剰な燃料の搭載を行い解決した [ 63 ] 。 第二航空戦隊所属の艦載機部隊は、 艦上攻撃機 隊32機が海軍航空隊出水基地(戦後廃止され跡地は民間に開放、 出水海軍航空隊#戦後の出水基地 参照)、 艦上爆撃機 隊36機が海軍航空隊笠ノ原基地( 鹿屋航空基地 から約5km東にあった)を訓練基地として、そして第二航空戦隊ならび 第一航空戦隊 所属の 艦上戦闘機 隊72機は海軍航空隊佐伯基地(戦後廃止され跡地は民間に開放、 佐伯海軍航空隊#戦後の佐伯飛行場 参照)を訓練基地として [ 64 ] 、 錦江湾 や 志布志湾 、 佐伯湾 で演習を行い、 1941年 (昭和16年)11月16日 佐世保基地 にいた加賀以外の 第一航空艦隊(南雲機動部隊) 空母5隻は佐伯湾にて艦載機部隊を各陸上基地から離陸させて着艦収容した。 その時の佐伯湾には ハワイ作戦 に参加するほとんどの24隻の艦船が集まっており、蒼龍には第二航空戦隊旗艦として山口少将が座乗し、翌17日午後に 山本五十六 連合艦隊司令長官 の視察を受けて、機動部隊旗艦(赤城)に集合した搭乗員達へ真珠湾攻撃の全貌が明かされた際には [ 65 ] 、母艦に戻った搭乗員達の間で酒宴となり、山口司令官や柳本艦長を胴上げして気勢をあげている [ 66 ] 。 各艦船は機動部隊としての行動をごまかすため、11月18日午前4時に第一水雷戦隊旗艦の軽巡 阿武隈 と麾下の駆逐艦9隻 [ 注釈 3 ] が動き出したのを皮切りに、時間をずらしてバラバラに佐伯湾を離れ、艦隊が最終集結する 千島列島 の 択捉島 単冠湾 を個別に目指した。 艦隊集結予定日通り11月22日に単冠湾へ入り、11月26日南雲機動部隊の一翼として単冠湾を出港し艦列を連ね、一路 ハワイ 真珠湾 へと向かった。 12月8日 真珠湾攻撃 に参加した蒼龍の艦上機は以下の通りである。 九七式艦攻 18機(水平爆撃隊10機=指揮官:分隊長 阿部平次郎 大尉 、雷撃隊8機=指揮官:分隊長 長井彊 大尉)、 零戦 8機=指揮官:分隊長 菅波政治 大尉 九九式艦爆 18機=指揮官:飛行隊長 江草隆繁 少佐 、零戦9機=指揮官:分隊長 飯田房太 大尉 真珠湾攻撃は戦艦多数を撃沈する大戦果を挙げた。森拾三(雷撃隊2番機操縦士)によれば、事前に目標ではないと説明があったにもかかわらず、艦攻3-4機が フォード島 北岸に停泊していた標的艦 ユタ を雷撃している [ 67 ] 。蒼龍は第二波攻撃隊から零戦3機 [ 68 ] 、九九艦爆2機が未帰還となった [ 69 ] 。南雲機動部隊は所在不明の米空母 エンタープライズ や レキシントン を捜索しながら日本への帰途についた [ 70 ] 。蒼龍飛行隊長 江草隆繁 少佐が 山口多聞 少将や柳本艦長を通じて米空母の徹底捜索と撃滅を進言し、一航艦の長官南雲中将や参謀長草鹿少将が艦隊の保全を優先したとする主張もある [ 71 ] 。 同時期、 ウェーク島 攻略にむかった日本軍 第四艦隊 (司令長官 井上成美 中将:旗艦 鹿島 )・第六水雷戦隊(司令官 梶岡定道 少将:旗艦 夕張 )は島を守る アメリカ海兵隊 の反撃によって思わぬ苦戦を強いられ、駆逐艦2隻 を撃沈され撃退された。ハワイからの帰投中だった第二航空戦隊は ウェーク島攻略 の支援を命じられ、第八戦隊司令官 阿部弘毅 少将が指揮下する蒼龍含め8隻 [ 注釈 4 ] は南雲機動部隊主隊から分離、12月18日より南洋部隊(指揮官 井上成美 第四艦隊司令長官)の指揮下に入った [ 73 ] 。 12月21日、零戦9機、九九艦爆14機が ウェーク島 に空襲を行った [ 74 ] 。22日の空襲では零戦3機、 九七式艦攻 16機が出撃した [ 75 ] 。ウェーク島到達直前、アメリカ軍戦闘機 F4Fワイルドキャット の奇襲を受け九七艦攻3機(含1機不時着着水)が撃墜されるが [ 75 ] 、そのうちの1機は水平爆撃の名手として知られ、真珠湾攻撃の際に艦攻隊の誘導機を務めた金井昇 一飛曹機であった [ 76 ] 。23日には第一波(零戦6、艦爆6)、第二波(零戦2、艦攻9)が出撃し、上陸した 海軍陸戦隊 の支援をおこなった [ 77 ] 。同日、ウェーク島は陥落 [ 78 ] 。 12月23日 付で南洋部隊の指揮下を離れ [ 79 ] 、 12月29日 に日本本土に戻った [ 80 ] [ 81 ] 。 1942年 (昭和17年)1月7日(8日 [ 82 ] )、第二航空戦隊は南方部隊に編入された [ 83 ] 。1月18日、蒼龍は パラオ諸島 に到着した。蒼龍の航空隊は ペリリュー島 に移動して待機していたが、この間「アメリカ軍潜水艦7隻出現」の索敵報告により、緊急出動している [ 84 ] 。実際は イルカ の大群の誤認であったという [ 84 ] 。1月21日、飛龍と共に出港 [ 85 ] 。1月23日、2隻からそれぞれ零戦9機、九九艦爆9機、九七艦攻9機が アンボン 攻撃に向かったが天候が不良で、代わりに目標とされた テルナテ でも攻撃対象がなかったため攻撃取り止めとなった [ 86 ] 。翌日、同数でアンボンの兵舎群や砲台を攻撃した [ 87 ] 。この攻撃で損害はなく、1月25日にダバオ着 [ 87 ] 。 2月19日、 ダーウィン空襲 に「蒼龍」からは零戦9機、艦爆18機、艦攻18機が参加し、艦爆1機が不時着水(乗員は救助された)した [ 88 ] 。この空襲ではアメリカの駆逐艦「 ピアリー 」など8隻が沈み、オーストラリアのスループ「 スワン 」やアメリカの水上機母艦「 ウィリアム・B・プレストン 」などが損傷している [ 89 ] 。攻撃からの帰投中に「赤城」機が特設巡洋艦1隻を発見し、「蒼龍」と「飛龍」からそれぞれ艦爆9機が発進 [ 90 ] 。「蒼龍」の艦爆はアメリカ客船「ドン・イシドロ」(3200トン)を攻撃し [ 91 ] 、5発の直撃弾を受けた「 ドン・イシドロ 」はバサースト島に擱坐した [ 92 ] 。一方、「飛龍」の艦爆はフリピン貨物船「フローレンスD」(2638トン)を沈めた [ 91 ] 。この2隻は物資を積んでフリピンへ向かおうとしていた船であった [ 93 ] 。 2月21日、蒼龍は スラウェシ島 (セレベス島)南東岸スターリング湾に入港した。 3月1日、偵察帰りの 九七式艦攻 が、クリスマス島南方でフリーマントルに向かう途中のアメリカ給油艦 ペコス ( USS Pecos, AO–6 )を発見 [ 94 ] 、12時55分に空母 加賀 が 九九式艦爆 9機からなる攻撃隊(指揮官:渡部俊夫大尉)を発進させ [ 95 ] 、次いで蒼龍も13時9分に九九式艦爆9機からなる攻撃隊(指揮官:池田正偉大尉)を発進させてペコスに向かわせた [ 96 ] 。加賀攻撃隊は13時21分にペコスを発見して攻撃態勢に入り、ペコスに直撃弾1発と至近弾8発を与えたが、ペコスも対空火器で応戦して4機が被弾した [ 95 ] 。加賀攻撃隊は14時39分に加賀に帰投してきた [ 95 ] 。蒼龍攻撃隊は、加賀攻撃隊がペコスを攻撃中の13時30分に現場に到着 [ 96 ] 。加賀攻撃隊が引き上げていった後に攻撃を開始し、命中弾3発と至近弾1発を与えたが [ 96 ] 、依然対空砲火はすさまじく5機が被弾した [ 96 ] 。しかし、ペコスは度重なる被弾で左に15度傾き [ 96 ] 、やがて艦首を先にして 南緯14度27分 東経106度11分  /  南緯14.450度 東経106.183度  / -14.450; 106.183  ( ペコス沈没地点 ) の地点 [ 97 ] にて15時48分に沈没した。蒼龍攻撃隊は15時1分に蒼龍に帰投し、ペコスの沈没の瞬間は見ていない [ 96 ] 。 同日午後7時、蒼龍艦爆9機が戦艦比叡や重巡利根、筑摩の砲撃をたくみに回避していた駆逐艦 エドサル ( USS Edsall, DD-219 ) を爆撃して航行不能とし、撃沈のお膳立てをした [ 98 ] 。3月5日、蒼龍攻撃隊が ジャワ島 チラチャップ を空襲して商船3隻撃沈、14隻が損傷したあと自沈した [ 99 ] 。その後、南雲機動部隊は スマトラ島 南方で脱出する連合軍艦艇の捕捉につとめた。 3月6日午前、山口少将(旗艦「蒼龍」)指揮下の8隻は南雲機動部隊本隊から分離、掃蕩を開始した [ 注釈 5 ] 。 山口司令官は第二航空戦隊の護衛に17駆第2小隊(浜風、磯風)を残すと、戦艦2隻と駆逐艦2隻を クリスマス島 砲撃に向かわせた [ 101 ] 。同日午後1-2時に艦爆6・艦攻2が商船プーラウ・ブラスを撃沈 [ 102 ] 、午後4時に艦爆7機が商船4隻を攻撃、商船ウールガーを撃沈したのみで [ 103 ] 、決定的な戦果を挙げるには至らなかった。3月11日、スターリング湾に入港する。 3月26日、南雲機動部隊(赤城、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴)として出撃し、インド洋へ向かう。4月5日から4月9日にかけて セイロン沖海戦 にも機動部隊の一角として参加する [ 104 ] 。英駆逐艦テネドス、仮装巡洋艦ヘクターを撃沈した。さらにイギリス軍東洋艦隊を襲撃した際には、他空母攻撃隊と協同して英空母ハーミーズ、重巡洋艦ドーセットシャー、コーンウォール、豪駆逐艦ヴァンパイア、コルヴェット艦ホリホック、給油艦アセルステーン、ブリティッシュ・サージャントを撃沈した [ 105 ] 。同海戦での蒼龍艦爆隊の命中率は78%にも及び、各地で華々しい戦果を挙げた。4月18日の ドーリットル空襲 の際には [ 106 ] 、 台湾海峡 を航行中だったため、千葉県沖にいた ハルゼー 提督の 第16任務部隊 を捕捉することはできなかった。4月22日、日本・横須賀軍港に戻る。この時、第二航空戦隊の旗艦は飛龍に変更され、定期人事異動によって南雲機動部隊の航空戦力は「基礎訓練の修了レベルに到達した者は一人もいなかった。未熟な航空兵は昼間着艦する段階にも達しておらず、熟練搭乗員の中にさえ明らかに腕の落ちた者がいた」という状態になる [ 107 ] 。 1942年6月初旬、第一航空艦隊の指揮下で ミッドウェー作戦 に参加 [ 108 ] 。 5月27日、蒼龍は日本を出発した [ 109 ] 。出撃前、蒼龍の長沼道太郎機関特務大尉は、床屋から「日本海軍が行けばミッドウェーでも楽勝ですね」とおだてられたという [ 110 ] 。蒼龍の艦攻操縦員だった大多和達也は、戦後アメリカの作家から「士官が作戦を芸者に聞かせて、そこから漏れた」という話を聞いたという [ 111 ] 。 日本時間6月5日午前1時30分、南雲機動部隊から ミッドウェー島 への第一次攻撃隊が発進する。この時の出撃陣容は各空母共に 零戦 は稼働半数の9機、攻撃機は第一航空戦隊は 九九艦爆 の稼働全18機、第二航空戦隊は逆に 九七艦攻 の稼働全18機を出撃させている [ 112 ] 。九七艦攻は魚雷ではなく、800kg陸用爆弾を搭載しての出撃である。アメリカ軍基地から発進した F4Fワイルドキャット戦闘機 6機、 F2Aバッファロー戦闘機 19機の迎撃と対空砲火により、蒼龍攻撃隊は全機が被弾して艦攻3機を喪失(不時着2含む) [ 113 ] 、零戦搭乗員1名が重傷を負った。残る艦攻も1機が飛龍に着艦、即時使用可能艦攻は10機であった [ 113 ] 。ミッドウェー島攻撃隊からの「第二次攻撃の必要性あり」の連絡を受け、午前4時15分、南雲司令部はアメリカ軍機動部隊出現に備えて対艦攻撃用の装備で待機させていた攻撃隊に対し、陸上攻撃用爆弾への換装を命じた [ 114 ] 。 午前4時40分、重巡利根から発進した 零式水上偵察機 が「敵らしきもの10隻みゆ」と報告した。一航艦参謀長 草鹿龍之介 少将は、空母が付近にいると思うと同時に「敵らしき」だけでは命令の変更には不十分であり、「艦種知らせ」と利根機に指示した [ 115 ] 。午前5時20分、利根機が敵空母の存在を報告する [ 116 ] 。この時、蒼龍は 十三試艦上爆撃機 の試作機を改造した 試作偵察機 を搭載しており、南雲長官は十三試艦爆の投入を命じた [ 117 ] 。操縦は飯田正忠(飛曹)、偵察は近藤勇(飛曹長)であった [ 118 ] 。午前5時30分に発進した十三試艦爆は午前8時30分ごろアメリカ軍機動部隊を発見し、蒼龍の被弾後は午前10時30分に空母飛龍に着艦して情報をもたらしている [ 119 ] 。なお十三試艦爆はアメリカ軍機動部隊発見を南雲機動部隊に向けて発信したが [ 120 ] 、無線機故障により艦隊側では受信できなかった [ 121 ] 。十三試艦爆の活躍に対し、戦闘詳報は「敵機動部隊情況不明なりし際、極めて適切に捜索触接に任じ、その後の攻撃(飛龍の反撃)を容易にならしめたり。功績抜群なり」と評価している [ 122 ] 。一方で、蒼龍の雷撃機操縦員だった森拾三によれば、艦爆や艦攻搭乗員達は「索敵で日が暮れる」と艦隊司令部への不満を抱いていたという [ 123 ] 。 その後、蒼龍はアメリカ軍ミッドウェー基地航空隊の波状攻撃を受け、回避行動と直衛戦闘機の発進に専念する [ 124 ] 。またミッドウェー基地攻撃に出撃した艦攻隊の収容も行ったため、アメリカ艦隊に向けた攻撃隊の発進準備は遅々として進まなかった [ 125 ] 。艦攻の収容に至っては、午前6時50分までかかっている [ 126 ] 。午前7時以降、南雲機動部隊は米空母ホーネットやヨークタウンから発進した TBDデバステーター雷撃機 の攻撃を受け、蒼龍も魚雷を回避する [ 127 ] 。この状況下、零戦隊も各艦の注意も低空のアメリカ軍機に向けられた。蒼龍 戦闘詳報 では、直衛零戦の行動や連絡方法について「戦闘機使用電波を制空用・上空直衛用の2種類に分くるる不必要なるのみならず、今回の如き電波転換の暇なき場合、直衛指揮に支障をきたすことあり」「敵雷撃機に味方戦闘機集中の傾向大なり」と問題点を指摘している [ 128 ] 。 日本時間午前7時25-28分頃(現地時間10時25分頃)、蒼龍は米空母 ヨークタウン 所属 SBDドーントレス急降下爆撃機 十数機の攻撃を受けた [ 129 ] [ 130 ] [ 131 ] 。ちょうどミッドウェー島攻撃から戻ってきた第一次攻撃隊艦攻搭乗員達が、搭乗員待機室で食事を取っている時だった [ 132 ] 。砲術長が気付いて対空射撃を行うもアメリカ軍機の阻止には至らず [ 133 ] 、投下された1,000ポンド爆弾三発がそれぞれ三基のエレベータ付近に一発ずつ命中した [ 134 ] 。一発が格納庫下段、二発が格納庫上段で炸裂する。当時の蒼龍には陸用爆弾から魚雷への兵装転換ではなかったものの、第二次攻撃隊として出撃予定の爆弾を搭載した 九九艦爆 と、帰艦した第一次攻撃隊の 九七艦攻 に搭載する為に左舷中央部艦底にあった魚雷調整場から格納庫に揚げられていた魚雷18本があった [ 135 ] 。それらが次々に誘爆を起こし深刻なダメージを与えた [ 129 ] 。小俣定雄(上機曹、蒼龍機関科電気分隊)は、最初の一弾が主蒸気管を破壊し、罐室が全滅、主機械と発電用タービンが停止したと推測している [ 136 ] 。撃沈確実と判断したアメリカ軍攻撃隊は警戒艦に目標を移し、駆逐艦磯風に至近弾を与えた [ 137 ] 。磯風は小破した [ 138 ] 。 蒼龍では砲術長が負傷したが、柳本艦長、浅海航海長、楠本飛行長は健在だった [ 139 ] 。 午前7時40分、機関が停止した [ 140 ] 。蒼龍の機関部では通風孔から炎が噴出し、やむなく復水機の 蒸留水 を飲んでしのいだ [ 141 ] 。応急班員は格納庫内での爆弾や燃料の誘爆で死傷し、彼らを手伝う筈の機関部員は火災で機関室に閉じ込められ、被弾と同時に電源が切れたため消火ポンプも作動せず [ 142 ] 、消火活動ははかどらなかった。日本空母の弱点であった ダメージコントロール の低さも災いしたが、被弾の時点でもはや手がつけられず、被弾からわずか15分後の午前7時45分に総員退去が下令される [ 143 ] 。大部分の乗組員は炎に追われ、また爆風で海に吹き飛ばされた [ 144 ] 。総員退去が伝わらず、艦前部や後部に留まっていた乗組員も多数いたという [ 145 ] 。救助にあたった磯風は蒼龍脱出者に対する米軍機の銃撃を目撃している [ 146 ] 。午前8時12分、重巡筑摩(艦長 古村啓蔵 大佐)から救援人員を乗せた短艇が到着した [ 147 ] 。 南雲司令部は第17駆逐隊第2小隊( 磯風 、 浜風 )に対し、蒼龍護衛と北西への退避を命じる [ 148 ] 。だが午後2時に磯風から南雲司令部(長良)に対し、蒼龍航行不能と今後の行動指示を乞う旨の返答があった [ 149 ] 。午後2時32分には、火災が一旦鎮火したという報告が入った [ 150 ] 。乗員の駆逐艦への移乗を開始し、午後3時2分、17駆第2小隊(磯風、浜風)は蒼龍の生存者を収容した [ 151 ] 。その後火災が少し収まったので、 楠本幾登 蒼龍飛行長は防火隊を編成して再度乗艦の準備を始める [ 152 ] 。直後に再度の爆発が起こり、救出は不可能と判断された。乗組員達は 柳本柳作 蒼龍艦長に脱出するよう懇願したが、拒否される [ 153 ] 。柳本艦長の最期には、艦橋の炎の中に飛び込んだ、ピストルで自決した、など諸説ある [ 154 ] 。 日本時間6月5日午後4時13-15分(現地時間6月4日19時13分)、蒼龍は日没と共に沈没した [ 155 ] 。随伴駆逐艦(磯風)の魚雷により処分されたという異説もあり [ 156 ] [ 注釈 6 ] 、南雲の戦闘詳報は事実を隠して「沈没」としか書いていないという意見もある [ 158 ] 。浜風に救助された艦攻操縦員だった大多和達也は大爆発と共に蒼龍中央部に水柱があがると、艦尾から沈んだと述べている [ 159 ] 。午後4時20分、磯風は水中で大爆発が起きたのを確認した [ 152 ] 。 柳本艦長以下准士官以上35名、下士官兵683名、計718名が戦死 [ 160 ] 、その中には艦内の火災で脱出不可能となった機関部員が多く含まれていた。機関科の脱出者は定員300名中、30名弱でしかなく、弾薬運びなどの応援作業に派遣されて機関室にいなかった新兵が中心だった [ 161 ] 。搭乗員戦死者は機上6名、艦上4名の合わせて10名(戦闘機4名、艦爆1名、艦攻5名)で [ 162 ] 、 江草隆繁 飛行隊長以下、搭乗員の多くは救助された。直衛隊の零戦数機が飛龍に着艦して戦闘を続けたが、同艦沈没と共に全機が失われた [ 163 ] 。 戦闘詳報 による蒼龍の沈没位置は 北緯30度42分5秒 西経178度37分5秒  /  北緯30.70139度 西経178.61806度  / 30.70139; -178.61806  ( 沈没地点 ) [ 164 ] 。のちに生存者は磯風から水上機母艦 千代田 等に移り、日本本土へ戻った [ 165 ] 。 なお、アメリカ海軍省は潜水艦 ノーチラス の報告から [ 166 ] 、ノーチラスが蒼龍を撃沈したと長く信じていた [ 167 ] 。戦後、日本軍側将兵の多数の証言からノーチラスは艦型が似ていた蒼龍と加賀を間違えて報告した事が判明した [ 167 ] 。 1934年 - 11月20日 呉海軍工廠 にて起工。 1935年 - 12月23日 進水。 1937年 - 12月29日 竣工。第2航空戦隊に編入される。 1938年 - 広東 攻略作戦に参加。 1941年 - 12月8日 真珠湾攻撃 。 12月21日、22日 飛龍 と共に第2次 ウェーク島攻略作戦 。 12月21日、22日 飛龍 と共に第2次 ウェーク島攻略作戦 。 1942年 - 1月 アンボン島 攻略作戦を支援。 2月19日 - ポートダーウィン空襲 に参加。 3月 - ジャワ島 近海で 給油艦ペコス を撃沈。 4月5日から4月9日 - セイロン沖海戦 に参加、 イギリス海軍 空母 ハーミーズ 等を撃沈。 6月5日 ミッドウェー海戦 にて沈没。 8月10日 除籍。 2月19日 - ポートダーウィン空襲 に参加。 3月 - ジャワ島 近海で 給油艦ペコス を撃沈。 4月5日から4月9日 - セイロン沖海戦 に参加、 イギリス海軍 空母 ハーミーズ 等を撃沈。 6月5日 ミッドウェー海戦 にて沈没。 大野一郎 大佐:1935年12月23日 [ 42 ] - 1936年4月1日 [ 43 ] 奥本武夫 大佐:1936年4月1日 [ 43 ] - 12月1日 [ 44 ] 別府明朋 大佐:1936年12月1日 [ 44 ] - 1937年8月16日 [ 45 ] 別府明朋 大佐:1937年8月16日 [ 45 ] - 12月1日 [ 47 ] 寺岡謹平 大佐:1937年12月1日 [ 47 ] - 1938年11月15日 [ 49 ] 上野敬三 大佐:1938年11月15日 [ 49 ] - 1939年10月15日 [ 168 ] 山田定義 大佐:1939年10月15日 [ 168 ] - 1940年10月15日 [ 169 ] 蒲瀬和足 大佐:1940年10月15日 [ 169 ] - 11月25日 [ 170 ] 上阪香苗 大佐:1940年11月25日 [ 170 ] - 1941年9月12日 [ 59 ] (兼) 長谷川喜一 大佐:1941年9月12日 [ 59 ] - 1941年10月6日 [ 61 ] (本職:赤城艦長) 柳本柳作 大佐:1941年10月6日 [ 61 ] - 1942年6月5日戦死(同日付、少将) [ 171 ] ↑ 航空母艦 蒼龍(さうりゆう) [ 21 ] 基準排水量10,500噸、長さ209.84米、幅20.84米、平均吃水5.02米、速力30節、備砲12.7糎高角砲12門、起工昭和9年11月20日、進水昭和10年1月23日、竣工昭和12年12月29日、建造所呉海軍工廠-我國で最も新しい航空母艦。姉妹艦に飛龍(竣工昭和14年7月5日、建造所横須賀海軍工廠)がある。 ↑ 第18駆逐隊( 霞 、 霰 、 陽炎 、 不知火 )、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)、第五航空戦隊( 秋雲 )。 ↑ 第八戦隊( 利根 、 筑摩 )、第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)、陽炎型駆逐艦( 谷風 、 浦風 ) [ 72 ] 。 ↑ 第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)、第三戦隊第2小隊( 榛名 、 金剛 )、第17駆逐隊( 谷風 、 浦風 、 浜風 、 磯風 ) [ 100 ] 。 ↑ 蒼龍砲術長は「駆逐艦長は長官からの命令で蒼龍を処分しようとしていた。私が負傷により気絶している間に、魚雷3本を発射して蒼龍を撃沈したと部下から聞いた」と回想している [ 157 ] 。 1 2 3 #昭和12年12月1日現在艦船要目公表範囲 画像2 ↑ #海軍制度沿革巻八p .98。昭和9年11月19日(内令487) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 航空母艦ノ項中「龍譲」ノ下ニ「、蒼龍」ヲ加ヘ、(以下略)。 ↑ #戦史叢書31海軍軍戦備1p .422 1 2 3 伊達久「航空母艦『蒼龍・飛龍・天城・葛城・笠置・阿蘇・生駒』行動年表」 #写真日本の軍艦第3巻pp .212-213 ↑ #日本航空母艦史p .46 ↑ #戦史叢書31海軍軍戦備1p .432 1 2 #軍艦進水の件pp .1-2『呉海軍工廠ニ於テ建造ノ軍艦蒼龍十二月二十三日午前九時十分滞リナク進水相濟リ』 1 2 #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲 画像18 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 #海軍造船技術概要p .296 1 2 3 4 #軍艦基本計画資料 Sheet79 1 2 3 4 5 6 昭和造船史1pp.780-781 ↑ #軍艦基本計画資料 Sheet8 1 2 3 #海軍造船技術概要p .1678 1 2 3 4 #軍艦基本計画資料 Sheet113 ↑ 12ノットで12,200 マイル との書籍(豊田穣『空母瑞鶴の生涯』)もある ↑ ( #海軍制度沿革巻十の2p .769)昭和12年4月23日(内令169) (中略)附則 本令中定員ノ増減又ハ変更ト為ルベキモノハ昭和十二年六月一日ヨリ之ヲ施行ス(以下略)、(同書p.769)航空母艦定員表 其ノ四 蒼龍、士官53人、特務士官29人、准士官43人、下士官285人、兵691人。 ↑ 『戦史叢書43 ミッドウェー海戦』 ↑ #戦史叢書31海軍軍戦備1 付表第四その一「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦、駆逐艦」 ↑ 阿部安雄「航空母艦、水上機母艦、潜水母艦、水雷母艦要目」、 #海軍艦艇史3p .331 ↑ 『戦史叢書10 ハワイ作戦』p.344 ↑ #日本軍艦集2600年版 コマ20 ↑ #造船士官の回想 上 88頁 ↑ #造船士官の回想 上 185頁 ↑ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p .243『以上の外に内海御召艦として蒼龍丸(さうりゆう)あり』 ↑ #衣島2003 、37頁の竣工時右舷側面図と1939年右舷側面図。 ↑ #畑中2010p .107 1 2 #衣島2003 、38頁の艦橋構造物詳細図、39頁本文。 ↑ #造船士官の回想 上 191-192頁 1 2 篠原幸好 (1994年), 連合艦隊艦船ガイド , 新紀元社 ↑ 片桐大自 (1993年), 聯合艦隊軍艦銘銘伝 , 光人社 ↑ 阿部安雄「日本空母の整備計画」 #日本航空母艦史p .154の第一表 日本空母基本計画番号。 ↑ #造船士官の回想 上 162頁 ↑ 「第5098号 9.11.3 蒼龍」p.2 ↑ “ Navy - Aerial views of Japanese Ships, 1941 ”. www.archives.gov . アメリカ国立公文書記録管理局 (1941年). 2025年3月18日閲覧。 pp.21-22〔 SORYU(CV)-2 SHIPS-(SORYU, HIRYU)Length 688’Beam 68' Dp 12-5m/ Displacemen 10,050 Speed 30kts. AAMG 16-50Cal. Planes 53(以下、艦型図)〕 1 2 3 #ロード、逆転 258-259頁『急降下爆撃の謎』 ↑ 歴史群像シリーズ太平洋戦史スペシャルvol.3「決定版 日本の航空母艦」学研パブリッシング p.100 1 2 3 #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日) p.18〔 蒼龍|航空母艦|209.84|20.84|5.02|10,500|30.0|11|呉工廠|昭和9-11-20|10-1-23|12-12-29|(艦装備略) 〕 ↑ #造船士官の回想 上 90頁 1 2 昭和10年12月24日付 官報第2694号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959173 p.17 1 2 3 昭和11年4月2日付 官報第2773号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959253 p.12 1 2 3 昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.21 1 2 3 「 昭和12年8月16日(発令8月16日付)海軍辞令公報(号外)第28号 p.20 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072200 ↑ #造船士官の回想 上 210頁 1 2 3 「 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 p.20 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 ↑ #造船士官の回想 上 216頁 1 2 3 「 昭和13年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)号外第261号 pp.47-48 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074500 ↑ 「 昭和13年9月1日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)号外第233号 p.1 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074300 ↑ 「 昭和14年10月20日(発令10月20日付)海軍辞令公報(部内限)第393号 p.5 」 アジア歴史資料センター Ref.C1307207650 ↑ 『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、369頁 ↑ 「 昭和15年11月1日(発令11月1日付)海軍辞令公報(部内限)第550号 p.1 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079300 1 2 3 「 昭和16年9月12日(発令9月12日付)海軍辞令公報(部内限)第710号 p.2 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 ↑ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他 p.1〔 呉|第十二驅逐隊|叢雲、東雲|(戦時編制ニ依ル所属)第二航空戦隊 〕 1 2 3 「 昭和16年10月6日(発令10月6日付)海軍辞令公報(部内限)第724号 p.50 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600 ↑ 戦史叢書10 ハワイ作戦 110-111頁、『完本・太平洋戦争 上』文芸春秋39-40頁 ↑ 戦史叢書10 ハワイ作戦 176頁 ↑ 面白いほどよくわかる太平洋戦争 日本文芸社 p.37 ↑ #奇蹟の雷撃隊 140-141頁 ↑ #奇蹟の雷撃隊 145-146頁 ↑ #蒼龍飛行機隊調書(1)p .7 ↑ #蒼龍飛行機隊調書(1)p .9 ↑ #蒼龍飛行機隊調書(1)p .15 ↑ #天空からの拳 196-197頁 ↑ #高松宮日記3巻 371頁 ↑ #戦史叢書38中部太平洋 174-175頁『第八戦隊、第二航空戦隊および駆逐艦二隻の派遣』 ↑ #蒼龍飛行機隊調書(1)pp .24-25 1 2 #蒼龍飛行機隊調書(1)pp .26-27 ↑ 押尾・野原「ウェーク島攻略戦とF4F」53ページ、押尾・野原『日本陸海軍航空英雄列伝』34ページ ↑ #蒼龍飛行機隊調書(1)pp .30-33 ↑ #高松宮日記3巻 400-403頁(第四艦隊長官報告) ↑ #戦史叢書38中部太平洋 213-214頁『分派機動部隊への南洋部隊指揮官の指揮解除』 ↑ #戦史叢書38中部太平洋 220頁『増援の機動部隊、呉帰投』 ↑ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、127ページ ↑ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、223ページ 1 2 #奇蹟の雷撃隊 203-205頁 ↑ #蒼龍飛行機隊調書(1)pp .1-2 ↑ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、230ページ 1 2 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、230-231ページ ↑ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、349、351ページ ↑ Royal Australian Navy, 1939–1942, p.595 ↑ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、352ページ 1 2 日本空母戦史、146、148ページ ↑ Royal Australian Navy, 1939–1942, p.594 ↑ 日本空母戦史、146-147ページ 1 2 3 4 5 6 #蒼龍飛行機隊調書(2) ↑ “ Chapter IV: 1942 ” (英語). 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装机神器,可安装一切系统,纯净版,英文版,繁体版 ,精简版,原版等等等
↑ #天空からの拳 212頁、 #蒼龍飛行機隊調書(2)pp .28-29 ↑ #天空からの拳 215-216頁 ↑ #S1703一水戦日誌(2)p .50『6日/一.1030機動部隊第2兵力部署ニ依ル別働隊(第2航空戦、第3戦隊2小隊、第17駆逐隊)ハ「クーパン」ヲ通ズル205度線以北海面ニ於ケル残敵撃滅ノ為主隊ト分離』 ↑ #S1703一水戦日誌(1) pp.6-7〔 3月7日 第17駆逐隊1小隊第三戦隊2小隊ト共ニ「クリスマス」島ヲ砲撃陸上施設(電信所桟橋油槽)ヲ破壊/3月9日 第17駆逐隊主隊ニ合同 〕 ↑ #天空からの拳 216-217頁、 #蒼龍飛行機隊調書(2)pp .50 ↑ #天空からの拳 217頁、 #蒼龍飛行機隊調書(2)pp .48-49 ↑ 日本軍艦戦記 2014 , pp. 14–17英海軍を圧倒したセイロン島沖海戦●1942.4.5-9 ↑ #天空からの拳 225-228頁 ↑ 日本軍艦戦記 2014 , pp. 18–21日本本土初空襲●1942.4.18 ↑ #天空からの拳 235-236頁 ↑ 日本軍艦戦記 2014 , pp. 26–33命運を分けたミッドウェイ海戦●1942.6.5-7 ↑ #戦史叢書 ミッドウェー海戦 P295〜297 1 2 #MI海戦日誌(2)p .59 ↑ #澤地記録 243頁、 #1航艦戦闘詳報(1) p.33-p.33、 #1航艦戦闘詳報(2) p.9 ↑ ゴードン・プランゲ『ミッドウェーの奇跡』原書房14頁 ↑ #天空からの拳 247頁、 #1航艦戦闘詳報(2)p .14 ↑ #橋本信号員 131頁、 #天空からの拳 248頁 ↑ #蒼龍飛行機隊調書(3)p .54 ↑ #蒼龍飛行機隊調書(3)p .54、 #MI海戦日誌(2)pp .66-67 ↑ #MI海戦日誌(2)pp .66-67 ↑ #MI海戦日誌(2)p .69 ↑ #証言 141-142頁、 #天空からの拳 250頁、 #1航艦戦闘詳報(4)p .14 ↑ #予科練一代 217-218頁 ↑ #MI海戦日誌(2)p .57 ↑ #1航艦戦闘詳報(4)p .14 ↑ #MI海戦日誌(2)p .47 1 2 #1航艦戦闘詳報(1)p .44、 #1航艦戦闘詳報(4)p .14 ↑ #太平洋の試練(下) 277頁『蒼龍、赤城も被弾』 ↑ #ロード、逆転 262-264頁〔 三.マックス・レスリーと第三爆撃中隊が〈蒼龍〉を攻撃した 〕 ↑ 『文藝春秋臨時増刊 目で見る太平洋戦争史』(昭和48年12月増刊号)162頁 金尾滝一海軍中佐 蒼龍砲術長談 ↑ #1航艦戦闘詳報(4)p .23、 #MI海戦日誌(2)p .42 ↑ #証言 85-86頁、元木茂男(上等整備兵曹、魚雷調整員) ↑ GF日誌、戦闘詳報(2) , p. 19. ↑ 日本軍艦戦記 2014 , p. 220. ↑ #1航艦戦闘詳報(1)p .45 ↑ #太平洋の試練(下) 288-289頁 ↑ 日本軍艦戦記 2014 , p. 219. ↑ 日本軍艦戦記 2014 , pp. 223–224. ↑ #井上 磯風 40-42頁 ↑ #1航艦戦闘詳報(2)p .31 ↑ #1航艦戦闘詳報(2)p .48 ↑ #1航艦戦闘詳報(2)p .49 ↑ #1航艦戦闘詳報(2)p .52 ↑ #1航艦戦闘詳報(3)p .1 1 2 #1航艦戦闘詳報(1)p .46 ↑ #橋本信号員 173頁、 #証言 230-231頁 ↑ #奇蹟の雷撃隊 258頁、 #証言(文庫) 323頁 ↑ #1航艦戦闘詳報(1)p .46、 #1航艦戦闘詳報(3)p .5 ↑ 『文藝春秋臨時増刊 目で見る太平洋戦争史』(昭和48年12月増刊号)163頁 ↑ 日本軍艦戦記 2014 , p. 225. ↑ #太平洋の試練(下) 316頁 ↑ #1航艦戦闘詳報(4)p .47 ↑ 澤地『記録 ミッドウェー海戦』、 #天空からの拳 255頁 ↑ #MI海戦日誌(2)pp .44-45 ↑ #天空からの拳 254頁、 #1航艦戦闘詳報(4)p .46 ↑ #証言(文庫) 134、323頁 ↑ “ COMSUBPAC - USS NAUTILUS-Report of 1st War Patrol (Enc A-C) ”. www.archives.gov . アメリカ国立公文書記録管理局 (1942年). 2025年3月18日閲覧。 pp.1,3-4 1 2 #ロード、逆転 264-266頁『米潜水艦攻撃の謎』 1 2 「 昭和14年10月16日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第391号 p.20 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076400 1 2 「 昭和15年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第543号 pp.29-30 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 1 2 「 昭和15年11月27日(発令11月25日付)海軍辞令公報(部内限)第560号 p.31 」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079700 ↑ #柳本柳作少将叙位の件p .1 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。 海軍研究社編輯部 編『日本軍艦集 2600年版』海軍研究社、1940年7月。 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。 海軍研究社編輯部 編『日本軍艦集 2600年版』海軍研究社、1940年7月。 アジア歴史資料センター(公式) (防衛省防衛研究所) Ref. 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C08051585400『昭和16年12月〜昭和17年6月 加賀飛行機隊戦闘行動調書』。 『昭和16年12月1日~昭和17年6月 連合艦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 JACAR : C08030017900 。 Ref. C08030018200『昭和16年12月1日〜昭和19年8月31日 第4艦隊戦時日誌(1)』。 Ref. C08030057600『昭和16年12月1日〜昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。 Ref. C08030057700『昭和16年12月1日〜昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(2)』。 Ref. C08030041200『昭和17年1月1日〜昭和17年9月30日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌第3戦隊(3)』。 Ref. C08030080200『昭和17年3月1日〜昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。 Ref. C08030080300『昭和17年3月1日〜昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(2)』。 Ref. C08030080400『昭和17年3月1日〜昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。 Ref. C13071974300『昭和12年12月1日現在 10版 内令提要追録第3号原稿/巻1 追録/第6類 機密保護』。 (昭和12年12月1日現在艦船要目公表範囲) Ref. C13071997700『昭和16年6月30日現在 10版 内令提要追録第9号(上)原稿/巻1 追録/第6類 機密保護』。 (昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲) Ref. A11115294400『海軍少将柳本柳作外一名叙位ノ件』。 Ref. C05110730500『官房第43747号10.12.23軍艦進水の件』。 Ref.C05110625400「第5098号 9.11.3 蒼龍」 Ref. C13071997700『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。 Ref. C14121196200『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度帝国海軍戦時編制/附表』。 Ref. 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